スコティッシュ・ダンシングは世界中で非常に人気があり、そのなかのカントリー・ダンシングは世界中で繁栄して広がり続けていますが、スコットランドのダンスで、もうひとつ好まれている形式があります。ハイランド・ダンシングです。
カントリー・ダンシングに加えて、RSCDSはハイランド・ダンシングの指導と普及にもたずさわっており、主要イベントで必ずハイランド・ダンシングのコースを催しています。RSCDSはおもにカントリー・ダンシングに焦点を当てていますが、他のスコットランド・ダンス、なかでもその一つ、ハイランド・ダンシングの普及と発展も目標としているのです(みなさんはサマースクールでハイランドのクラスに参加できます)。ハイランド・ダンシングのデモンストレーションもあり、下欄でその様子をご覧ください。



ダンスのスタイル
カントリー・ダンシングとハイランド・ダンシングの間には、共通するステップとフォーメーションがあります。ストラスペイおよびリールのセッティングでハイランド・ステップを使うことから、カントリー・ダンシングは、ハイランド・ダンスの分野にクロスしています。カントリー・ダンシングには、セッティングでHighland Schottischeステップを使うことがあります。
ハイランドのセッティング・ステップは、reel of fourおよびpivot turnと同様、Reel of TullochやEightsome Reelのようなカントリー・ダンスに使われています。加えて、Highland FlingステップはStrathspey and Reel of Tullochにも使われています。
RSCDSはハイランドを指導していますが、ハイランドのセッティング・ステップをカントリー・ダンシングで使い、かつハイランド・ダンスを勉強することで、足のポジショニング(位置決め)と足さばきに役立つためです。
ハイランド・ダンシングに出会うとき、とくにハイランド・ゲームズで、みなさんはバグパイプの音色を耳にすることでしょう。これ以外の楽器による音楽を聞くとすれば、それはマウス・ミュージックによるものでしょう。
ハイランド・ダンシングには長く、細部にわたる歴史があり、スコットランドがもっとも大切にしているダンスの一つです。ハイランド・ダンシング史の勉強は、みなさん自身が研究する、そしてハイランド・ダンシングを育成・普及させている公式の団体に連絡されることをお勧めします。
コンテストとして、The Cowal Highland Gatheringが1894年に生まれ、1902年にはJuvenile Highland Dancing Competitionが加わりました。1932年に第1回Juvenile Highland Dancing Championshipが開催されました。1948年には第1回世界選手権大会が開催されました。ボビー・ワトスンは1926年の世界ジュニア選手権で優勝しています。
1950年1月15日にスターリングのプラザ・ボールルームでThe Scottish Official Board of Highland Dancing(スコティッシュ・ハイランド・ダンシング公式委員会)が設立されました。同会暫定委員のミス・ミリガンとミスタ・ブラウン、そしてソサエティを代表してミス・ハドゥンとミセス・ブラウンが出席しました。前述のボビー・ワトスンも出席していました。
ベティ・ジェシマンはボビー・ワトスンとならぶもう1人の重要人物です。1958年、ホリールード宮殿のエリザベス女王とフィリップ殿下の御前で演技を披露し、ついでソロのハイランド・ダンサーとしてスコティッシュ・カントリー・ダンスのグループに加わり、フランスをめぐりました。彼女は1961年の世界選手権大会の優勝者です。
入り組んだ足さばきで、ソロで踊られるのがハイランド・ダンシングです。おもなダンスはつぎのとおりです:
- Highland Fling
- Sword Dance
- Seann Triubhas
- Strathspey and Reel of Tulloch (dances with 3 other people)
- Highland Reel